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ユーザーの情報選択の自由について思うこと

Thu Jan 04 04:55:29 -0800 2007


Sashaです。

明けましておめでとうございます!2007年も皆様にとって素敵な一年になるよう、心からお祈り申し上げます。今年もウノウラボをよろしくお願いいたします。

さて、今日は「選択」の話をしたいと思います。

この記事にたどり着いた皆さんは、例えばブックマークから、またはRSSリーダーから、Googleから、誰かのブログから、紹介してくれた誰かのメールから、あるいはウノウのサイトから、どういうわけかここへやってきました。どなたかの紹介でダイレクトにここへやってきた人もいるかもしれないし、様々な他の情報を切り捨て、数あるリンクの中からこのページへのリンクを選択した人もいるかもしれません。その選択は、いったいどのように行われたのでしょうか?ダイレクトにここへやってきた人は、「選択なんかしてない」とおっしゃるかもしれません。ですが情報がこのようにあふれかえっている世の中で、意識的であろうと無意識的であろうと、人は「選択」せずに情報を見つけ出すことができるでしょうか?

心理学では、「選択肢があるときとない時の人の満足度」の違いについて繰り返し研究がなされてきました(Sashaは心理学畑出身です)。同じ結果に行き着いたとしても数ある選択肢の中から選んだ時の満足度は、他に選択肢がなかった時の満足度と比べてはるかに高い傾向にあるのです。でも、選択肢が多ければ多いほど人の満足度は高まるのでしょうか?

今まで運がよければ2つ、3つあればラッキーだった選択肢(=情報量)は、情報化社会によってこの10年ほどの間に200にも2000にも増えたことでしょう。ところが、ある一定の数を超えると、人はとたんに「選択」という自由行動を完全に放棄してしまいます。「選択する」という行動をやめない強い『自由意思』を持った人手さえ、選択の作業を自動化したり、単純化したりする業を付け始めます。

それでは、選択肢が膨大になった時、人はその数をどのように絞り込む傾向にあるでしょう。あなたは、何を使って自分に与えられた無数の選択肢を絞り込んでいるでしょう。考えられる意識的・無意識的な要素は次のようなものが挙げられます。

1) 見た目: 選択肢が多くなればなるほど、人は「見かけ」のインパクトを大事にする傾向にあります。視覚的情報は、人の主観的な部分にダイレクトに訴え、深く読んだり調べたりしなくても「好き」「嫌い」で簡単に選択肢を大幅に減らすことができるからです。

2) 自分との関係: 選択肢と自分との関係は近ければ近いほど、自分にとってのその選択肢の意味が具体化しやすくなり、それゆえ深く読んだり調べたりしなくても「近い」「遠い」というコンセプトで選択肢を大幅に減らすことができます。例えば、無数のRSSフィードから自分の興味にあった記事を探し出して選択的に記事を読む時にも、人は無意識的に自分とその記事の内容の距離とを計っているはずです。

Web2.0で繰り返し問われたものとして、上記のような選択肢のフィルタリングをいかにプログラム側がやってあげるか、という挑戦がありました。でもこれって、何もプログラムに限った挑戦ではありません。UIにだって、企画にだって、同じ挑戦があります。

UIでは、ユーザーの欲しいであろう選択肢をレイアウトとして優位に見せることで、ユーザーの意思決定を簡単にしてあげたり、画像や、動画や、色やタイポグラフィーの助けを借りることで、見た目のインパクトを用いて選択肢を絞ってあげ、ユーザーと選択肢の関係をビジュアル化しやすくしてあげる、ということが可能です。

企画では、見た目に魅力的な商品企画を提案し、演出するテクが有効であることは誰でも納得できるはずです(みんな一度くらいはそういう商品企画の良いカモになったことでしょう)。魅力的な商品企画によってユーザーは意外と、不毛な調査や学習の必要性から救われたりするのだと思います。そして、企画にユーザーのシナリオ・パターンが含まれていることも重要です。だれが、どこで、誰に対して、どういうことをするために、何を用いるから、その選択肢を選択するはずなのか、というシナリオを、企画担当の人はむしろプログラマより柔軟に考えられたりするでしょう。そういったシナリオは、ユーザが自分と選択肢との関係を具体化するために非常に役に立つはずです。

ずいぶんと抽象的な話になってしまいましたが、わたしは結構こういうの、好きなんです。そのうち気が向いたら具体的な例をあげたいと思います。ユーザの選択の自由を尊重して、プログラマさんとも企画担当さんとも、仲良く開発を行って行きたいと思います(なんて、すごい強引な締め方・・・)。